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好きだってことを忘れるくらいの好き

NODA・MAP 第24回公演 『フェイクスピア』 東京初日〜大阪大楽レポ

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NODA・MAP第24回公演『フェイクスピア』
完走おめでとうございます!!!
 
初日の5月24日ソワレ
6月19日マチネ
東京千穐楽の7月11日マチネ
大阪前々楽の7月24日マチネ
大阪前々楽の7月24日ソワレ
千穐楽の7月25日マチネ
全62公演中6公演を観てきました。
 
こちらのレポは、東京初日観劇後に書いたものをベースに、全公演終了後に加筆しています。
 
 
いきなり私的な話で申し訳ないですが、元々舞台は好きだったけれど、明らかに演劇をガッツリ観るようになったきっかけが2012年の『エッグ』でした。
もうとてつもなく面白く、そして恐ろしく、すっかり何度も劇場に足を運んだり戯曲を読み込んだりせずにはいられないこころとからだにされてしまいまして。
それ以降の野田地図の公演は全て観てきた(まあたかが10年ですが)ため、新作のお知らせだけでも嬉しいのに、
うっそでしょ主演が高橋一生
私の大好きな一生さんがついにノダマップの主演!!
これはすごいことなんだよ、ねえすごいんだって、全国民聞いておくれー!!!
という気持ちで早3ヶ月弱。
 
初日全然まだじゃんとか、本当に宣言下で都の劇場で公演ができるのかなとか思っていたのに初日だった。おかしい。
というわけで野田さんの作品含め舞台好きとして、そして高橋一生さんファン(イセクラ)として、感情がごちゃ混ぜになった様をこれから整理していきます。
よかったらお付き合いくださいませ。
 

 前回の『Q』はこちら↓

sherry5honey7jouer.hatenablog.com

 

 
 
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【東京開演前 (ネタバレなし)】

 
・プレイハウスのドア入ってロビーの入口に当たる所?と言えばいいのかな。そこに非接触型の検温(手首かざしてピッって測れるタイプ。私は見たことない)とチケット確認&セルフもぎり。
 前回の『Q』の時めちゃくちゃ厳しかったガチ本人確認ですが、今回は拍子抜けするくらい一切ありませんでした。
 もうこの時下で公演ができるかどうかも、チケット買った人がその日に行けるかも、全部全部わからない状態ではやらない方が私はいいかなと思いました。*1
 
 
・物販はチケットもぎりの奥、いつもの場所です。今回はパンフのみ1300円。
 いつも思うけど野田さんケラさんクラスの舞台ってパンフも本当にすごく丁寧にこだわって誂えてらっしゃるのがすごくわかるんですけど、とにかく安すぎてびっくりする。もっと払わせてほしいです。
 
・座席は100%販売してた模様。ほぼ満席じゃないかな。私の周りには空席なかったし、最後列の仮設椅子席も埋まってたはず。
 
・プレイハウスは携帯の電波抑制装置付いてる劇場なはずですが、当たり前ですがスマホ等の電源は切ってください。
 今回は鳴ってなかったけど、先日の一生さん出演の朗読劇の時のマナーの悪さ、現場にいたけどありえなさすぎて本当に心底怒ってる。
 
まさかのプレイハウスの入口の思いっきり前で大倉孝二さんいらした。あと座席も近くでびっくりした。
ナイロンの公演も大倉さんもすごく好きで、本当に舞台の大倉さんの存在感って異常ですよね。いらっしゃるだけで笑えたり、不穏だったり、空気を掻き乱すのがわかるんです。
 今回一生さんと大倉さんの絡みが一番めちゃめちゃ楽しみだったのでとっても残念ですが、お身体が何より一番なのでゆっくりお休みになってほしいです。
 今年末ナイロンの本公演あるはずだし、そこでまた拝見できれば我々ファンは嬉しいです。俳優さん方にはとにかく楽しく健やかに長く芝居をしてほしい。
 
 
 
 
 

【本編  ※ここからネタバレします。未見の方は絶対見ない方がいいです】

 
 
 
 
 
どういう順番で話したらいいのかわからないので最初に思いっきりネタバレですが、
 ざっくりいうと前半はシェイクスピアの四大悲劇をなぞるような人生を語る男が二人、恐山のイタコの元に予約?がダブルブッキングして出会います。片方の"楽"と名乗る者(橋爪功さん)は幼少の頃に死んだ父親に会いたいようで、やがてその二人は死んだ父親と息子だということがわかります。
 後半は息子の同級生であるイタコ(白石加代子さん)の昇進試験を行いながら、やがてその息子の喪った父親=monoと名乗る者(高橋一生さん)は、日航機墜落事故の際に搭乗していたパイロットであることがわかり、死を覚悟しつつ残したレコーダーの声によって、自殺を考えていた息子は踏みとどまり生きることを決めます。
 こんな簡単に話せる作品ではないのだけど最も簡潔に言うならばこうではないでしょうか…
 
 
 
≪美術・衣装≫
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・客席に入って最初に目につくのが舞台の上方の「FAKESPEARE」の文字で、遠目でよくわからなかったけど素材としては骨みたいにも見えたし、銀紙みたいな質感にも見えたしよくわからなかったです。
 「R」だけ文字が反転していたのは、フェイクというテーマゆえでしょうか。
 パンフレットにある堀尾幸男さんの美術のスケッチ見たら、文字のところは仮設プロセニアムアーチだったんですね。
 本当の芸劇の舞台の中にプロセニアムアーチをさらに作るということは、この舞台で繰り広げられる物語の虚構性とメタ構造的なところの強める装置なのかなとわたしは推測しています。
 本来ならば舞台上で上演される作品は全て虚構であって、現実の観客である私達と対峙するものだと思うんですが、
『フェイクスピア』の面白いところはシェイクスピアのお話の引用もするし、シェイクスピアらしいおじさん(笑)も出てくるし、途中でフィクションである星の王子様まで出てきちゃうし、何より話の軸は「死者が醒めて見る夢(同時に生者も見せられている夢)」(←この表現が適切かは微妙)だと思うので、『フェイクスピア』というフィクションの中に更にフィクションが沢山出てくる。
 だからこそ全体の解釈が本当に難しくて最終的には私はお手上げだったんですが、装置として視覚的にそういう意図を含ませた可能性はあると踏んでます。
 
・『エッグ』の時に大活躍だったブレヒト幕が今回も大活躍で、各演目観るたびにあの転換の仕方凄いなと思ってます。
 幕を動かす人も、幕に合わせて入れ替わる人も、全員のタイミングと速さが求められると思うので、それだけで体力めっちゃ使いそう…
 あと今回はキャスター付きのどこにでもありそうな椅子をあんなものやこんなものに見立てる…という使い方が見事で、一歩間違えれば速度が出すぎて怪我しそうなので、うまく制御されているのもまた凄いなと思いました。
 
・よーく見ると日本的な要素が溶け合っているのが野田さんらしいというか、美術・衣装・美粧・振付等視覚面のチームの特徴なのかなとも思いました。
 最近の『東京キャラバン』のシリーズをいくつか報道等で拝見していた時の雰囲気と結構似ているなぁと感じてました。
 例えば、白石さん演じる皆来アタイの衣装に能の面の絵が大胆に描かれていたり(地がピンクで白石さんにとてもお似合いですごくきれいな衣装だった)、
アンサンブルさんが男女ペアで踊るときに男性が女性をリフトして女性が操り人形みたいな独特な動きをするのが浄瑠璃みたいだったり、
上述の美術スケッチの中で舞台に何本か刺さっているように見える柱に「シテ柱」「ワキ柱」と書かれていたり。
 
・柱は特に劇中でもかなり目立っているんですが、恐山に来た人間=生者は同じところから降りないと帰れないという台詞とか、
 最初下手側から出入りしていた楽とmonoが何度もレコーダーの箱を奪われるのは死者の夢を繰り返していたからで、逆に後半で上手側から楽がmonoを探しに行く流れは、思いっきり能舞台の構造をなぞってるんだろうなと後で気づきました。
 
 
 
≪一生さんについて≫
 
・とにかく一生さん、走り回りすぎてノダマップ〜!!!感が凄かった。
 作品違っても毎回なんだかんだ運動量…とは思うんだけども、前回『Q』の時は志尊くんめっちゃ走るな〜って感想だったので、ただいま不惑になられた一生さんがあんなに走り回るのは本当にすごい。
 舞台装置も山を作っている分、高低差が激しい構造なので、あれを走り回るのは本当におかしい…体力おばけか…
 おそらく野田さんの舞台は日本で一番1公演が濃密かつ全体スケジュールも長丁場で過酷に違いない舞台だと思うので、本当に身体だけは大切にしてください…勿論全カンパニーの皆さんそうなんですけど。
 
・monoと楽の会話の中で、いやいやこれシェイクスピアのアレじゃん!とパロディのような家族の事情を垣間見させられるのですが、イセクラ的には一生さんの直近の舞台が『天保十二年のシェイクスピア』でよかったのではないでしょうか。
 あの舞台を観ているといろいろシェイクスピアの話の良いとこ面白いとこ取りだったから、十分すんなり理解できる素地ができていたのだなと、改めて井上ひさし先生を有難く思いました。
 一生さんと橋爪さんのやりとりが本当に面白いし、とにかく芝居がお上手な方同士なので「これは良いものを見ている…」としみじみ思います。
 
・まさかのイセ子大活躍!!!!!笑
 一生さんは楽との会話の中で4大悲劇の女性をやりつつ、最後にハムレットのお父さんの亡霊になるので、いやそこかいな!とツッコミたくなるんだけど、まぁそこまでの女性役が上手いんだわ…声音・表情・佇まい、全てがハッとするほど色っぽい。美しい。
 あとその女性役の芝居の後、気を失って倒れるみたいな流れを繰り返すのですが、なぜか舞台の淵のぎりっぎりのところで倒れる笑。 その倒れた時のお顔も本当に美しいんですよ… 最前の人、顔めっちゃ拝めるよね?近すぎでは?最前のイセクラ大丈夫?生きてる?(私も前方のチケットほしかったよ!!!)
 今回のキャスティングの妙というか、この一生さんの中性性みたいなところが存分に活かされているところ、すごく嬉しく思いました。
 そういえば、最近だと『天国と地獄』で日高彩子の時の芝居で何度「かっ、かわいい…」と思ったことか…(※40歳男性です)
 私は未見ですがオールメール版『から騒ぎ』のビアちゃん(ビアトリス)をめっちゃ観たくなりました…円盤買おっかな…だって某めっちゃチュチュするシーンしか観てねえんだもん…
 
亡霊芝居中の一生さんのセルフエコーがすごく面白かったので観てほしい。
 笑うシーンじゃないのに笑っちゃうって。
 
・一生さんのことたくさん書きたいんですが、とにかく私は"mono"という役名がすごく印象に残ったし、野田さんが一生さんにこの役を託してくださったのが嬉しい。
 冒頭で「monoは一つの音」という台詞があったので、最初音源のモノラルとステレオの"mono"を連想して、monotone・monochrome・monolologue・物・者などいろんなイメージが広がりつつ、
「monoが語る」=物語る物語なわけで、彼が居なければこの物語は存在しえないわけだし、monoの元来の意味から連想していくと、単一であることは唯一無二であることだと思うし、様々なイメージを重ねられる記号のような音の響きと運命を背負ったmonoという役柄は、一生さんの芝居という行為や俳優の存在に対する考え方と完全に合致するところがあると思うんです。
当たり役というのとはちょっと違うけど、この役は他でもないこの人がやるべきなんだということだけは強く思いました。*2
 
 ・先ほども書きましたが、一生さんの中性性も然りなんだけども、虚実とか生死というそういうものたちの微妙なあわいを表すのが本当に絶妙で、そういう象徴みたいな"mono"はやはりぴったりだなと思うんですよ…
 
・最後に思い出しましたイセクラさん方すみません衣装ね!
 
 もう写真出てるので見てほしいのですが、髪型が僕キセ・みかづきくらいの時のふわっふわパーマに戻っていて、日高との落差でまず死にます。覚悟してください。
ちなみにカテコでお辞儀する度、その髪がふわふわ揺れるのでまた死にます。心臓何個もプレイハウスに捨てる覚悟してきてください。
衣装は茶系のブルゾンのようなものに、黒のズボンとブーツのような靴。
終盤で分かりますが、その下にパイロットの服として白シャツ・黒ネクタイも忍ばせています。
ブルゾンは腕から先の部分の内側(体側)が空いていて腕の出し入れができ、ちょっとポンチョ?みたいに見える瞬間もあったり。
劇中で腕の出し入れしているところに意味があったのかはよくわからなかったです笑。

 
≪言葉について≫
・野田さんの頭の中は一体どうなってらっしゃるのか、毎回覗いてみたくなるくらい台詞が面白い。というか、言語って面白い、とすら思います。
おなじみ言葉遊びは今回もちりばめられており、
    呼んでません⇄読んでません
 置いてかれる⇄老いて枯れる
 四大悲劇⇄呼んだ悲劇
 イタコ⇄(恐山に)居た子
 皆来(ミナライ)アタイ⇄見習い
 心当たり⇄心、辺り
ざっと上げるとこんな感じでしょうか。
 
・パンフレットの稽古場見学記も恒例ですが、今回寄稿されている角田光代さんの文章が素晴らしく、ぜひ購入された方はお読みください。
 普段から「言葉で現実を再構築する」小説をお書きになっている視点から、台本と台詞の関係について言及されているのですが、
 先程挙げたような言葉遊びの台詞を台本で読んだとして、それは文字面の理解、つまり記号の理解であり、
 役者の肉体を通して声で発せられることで、初めて現実となるというような旨を書かれていて、かなり私の中で作品に対しての解像度が上がりました。
 
・更に踏み込んで考えるとき、例えば"mono"という明らかに記号的存在が主人公に据えられている作品において、シェイクスピアの作品群或いは『フェイクスピア』というフィクションそのものにおける言葉が役者の肉体を通して上演され、現実として立ち上がっていく様を見ることができるのは、「文字通りに」記号的な文字面の羅列が現実へと変化していくのを目撃している瞬間であるし、
 monoが携えていた箱=レコーダーは現実に存在している「コトバの一群」であって、リアルな肉声を記号的存在が運び、現実世界の私たちに再度もたらすことで、もうどっちがフェイクまみれかわからないような作品世界と現代世界の中で、monoとレコーダーは虚実が混ざりながらも特異な存在としてとても際立つように思いました。
 
角田さんも言及されていましたが、劇中で生死にかかわらず「声が聞こえていること」を存在として認識するイタコの在り方は、私もとても印象に残りました。
 つまり、声がある所に死者と生者・虚実が交わるという点でも、イタコの居る恐山を舞台にしたことは必然の流れだったなと考えられるし、『星の王子さま』に出てくる
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」
という有名な台詞を、すごく広く深く展開したら『フェイクスピア』になるし、劇中で引用をするに至ったのかなとも思いました。
 
 
≪役者さんについて≫
 
・ナイロンファンとしては村岡希美さんも好きなんですけど、もっと出番があっても良かったのでは…!もっとお芝居拝見したかった!
 とにかくお声が静かに艶があって素敵なんです。途中でイタコ昇進試験のシーンで真っ暗になるけど、暗闇の中でも村岡さんのお声はすぐわかる。
 終盤の機内のシーンも、コックピットに居るパイロット以外のキャビンアテンダントの役柄が一人しかいないので、
 搭乗客に対してずっーと一人で指示を呼び掛けているんですけど、それがまたすごい緊迫感が出ていて。
 どういうシーンでもお声に存在感があって、きれいに響いて埋もれないのが凄いと思います。野田さんも「もっと評価されるべき」とパンフレットに書かれていたけど私もそう思ってます。(とりあえずまずは阿佐ヶ谷スパイダーズの公演を観に行かねば)
 
・野田さんはもう出て来られるだけで優勝なので観てください。登場だけで面白すぎる。
 シェイクスピアのガチな扮装で踊るあのシーンの為だけにもう一回観に行きたい笑。
 
・代役で入った伊原さん。大倉さんの件は残念ではあるけれど、三日坊主のなんというかチャーミングさがよくわかったのと、例えばレコーダーを盗まれないように手にもって高く持ち上げるところ等、体格の良さが際立つようで伊原さんで良かったのかも。
 伊原さんと長年の友人である川平さんが、ある意味三日坊主と対になるアブラハムだったのはすごく良くて、あの声の通り具合と登場の時の勢いやコミカルさが素晴らしかった
 うっかり「楽○カードマンッ!!!」って言いだすのではと思ったのは私だけでしょうか…笑
 
上の二人はハムレットのローゼンクランツとギルデンスターンに当たる、というのがはっきりと劇中で示されるのですが、最初「神の使い」と名乗っているんですね。
 最後まで見ると結局「使者」⇄「死者」であり、彼らも事故で死んだパイロットであったことがわかります。
 神が一体何なのかがよくわからず観ていて、あと近年の野田地図作品の着地点が【戦争】に行きつくことが多かったのもあり、ずっと自分の中でミスリードしていて、「神の使い」すなわち神風にまつわるパイロットの話なのではないか…と結構終盤まで思い込んでいたせいで、かなり自分の中で消化不良を引き起こしてしまってました。
    一生さんの衣装のブルゾンもちょっとパイロットっぽかったし、特攻隊で死んだお父さんなのかなとか頭をよぎってしまった…
 
 
前田敦子さんが野田さんの舞台に出るイメージが正直なかったけど、”星の王子様”とか”白い烏”とか、決して明るくない物語の中でひとすじ風を吹き込むようなさわやかさがありました。

≪全公演終了後&戯曲読了後の小ネタ感想≫

・東京楽も大阪楽も、本編直前のBGM"Sing Sing Sing"が他の公演日よりも長めにかかっていた気がするんですが何かの意図があったのか

 

・何度観ても第一声の「ずしーん」の声の凄みで震える。

何回観ても「芝居観てるな」って感覚と緊張感が、一瞬で全身を駆け巡る感じだった。一生さんの声と佇まいの凄まじさを全公演感じていました。

 

・白石さんの挨拶が、大阪は東京より若干テンション高め?声が大きい?気がした。ちなみに「嘘八百物語」ではあまり笑いが起きてなかったななんでだろ舞台好き少ないのかな

 

・アタイ→monoパートで言うと、伝説のイタコ登場直後の「執拗に若さを強調した挙句」とか、上手端の柱まで追い詰められたmonoが「あの時の感じの人とも会いたいかなあ」とか話すのめちゃくちゃ面白すぎて笑う本人たちのこと考えると笑っちゃいけないのに笑っちゃう

 

・大阪では「分け目、分け目」も地味にバージョンアップしてるというか、ジェスチャーが大きくなっていて、それで上手に一人居る一生さんが結構笑っててごまかしてる率上がってるような気がしましたw

 

・楽の「国王/将軍/領主だったんですよ」で笑いが起きるの楽しいですよね何回か観るとわかってくるから主に初見のお客さんなんだろうけど、楽のなりきり具合が真面目になればなるほど笑えてしまう

 

・アタイが「変なのが来ちゃったよ〜」っておろおろするところ、笑いポイントなんだけどその直後にお母さんが伝説のイタコとして来てくれるの、本当に愛ですよね

 

・オタコ姐さんアタイへの気にかけ方、世話を焼きながらなんだかんだ優しいところもとても好きだった並んで歩く時肩を抱いてたりとか、「どうしようもないバカだけど、かわいいんだよ」と話したりとか

 

・『オセロー』のくだりの後、monoが匣を開けることでまた序盤のシーンのように大木たちの情景に戻る唐突さにいつも驚くんだけど、言の葉を掴み匣に収めるmonoの手の美しさ、声音の使い分けの凄さ(力強さとそれこそイセ子の時の女性っぽい声音とを行き来する感じで抑揚を付けてる感覚に思えましたそれを大楽近くでやっと気づいて鳥肌たった…)、全て本当に印象的で好きなシーンでした。

 

・イセ子は自然になりきった瞬間から胸元を押さえる手も、ハンカチを手渡す手も、しみが取れない両手を凝視するのも、全ての手の所作も美しすぎて鼻血レベルだったし、それがまさか大楽のカテコにまで活かされるとは…( #フェイクスピアカテコの高橋一生 で検索してください)

 

mono、三日坊主、アブラハムの3人が並んでるシーンはそこまで多くはないと思うのですが、「神様からの使いのmono〜」でmonoに抱きつくところ、大楽でmonoが「うわぁ困ったなあ」みたいな顔してるのが最高に可愛かったし、抱きつく方もギュッギュと感が初日から増してたと思うんですよえーかわいい

 

・オタコ姐さんと三日坊主の仲良しぶりというか息のピッタリ合ってる感じ、すごく好きだしだからこそやっぱり結末まで知ると悲しくもなる… 

あと三日坊主がオタコ姐さんに吐き出させられ、投げつけられた大根ゼリーを、ササッと拾ってペロッってさりげなく食べてるのが毎回好きだったんですけど可愛すぎでは

 

 

・大阪で2階席・3階席を初めて経験したのですが、セットを俯瞰することで、あのパタパタ開閉する床板に描いてある模様が飛行機のエンジンにも、或いは森の木々の葉の模様のようにも見えることに初めて気づいた。その裏に隠れて次のシーンに向けて出入りしている様子も一部見られて面白かったです。

あと床やブレヒト幕に見られる黒の筆致、「森」の深い木々のようにも見えたし、飛行機が落ちて地を引き摺った跡のようにも見えました。

 

mono夢から醒めて真実を思い出してゆく度に、木が地から這い上がり起き上がるような音が後ろで鳴っていた?ことに前楽くらいでやっと気付きました…彼は"大木"の"一葉"なんだよなと…

 

mono楽の親子二人の、ト書きにすら書かれてないユニゾンが素晴らしくて。

最初にアタイに伝説のイタコが憑依したところで、背後で「この人頭おかしい?」みたいにジェスチャーしてたりとか、

昇格試験に協力してほしいとお願いされた時に、オタコ姐さんに対して「誰にとっても明日は大切な日です」「それ何度も聞いてます」と反抗するところ、楽がまあまあみたいな感じで宥めてたりとか、

「星野玉子様」の手紙のシーンで手紙を開いたり漢字を読んであげたりするところとか(ここはト書きにはあるけど毎回なんとなくニュアンス変えてる感じ)

全部中のお二人が稽古や公演期間を通して肉付けされていったのかな?野田さんの演出なのかな?とにかく気づいたら親子なんだなあときゅんとしてしまって

 

シェイクスピア登場後にmonoに柱の所で羽交い締めにされる担当ことアンサンブルの白倉さん、公演終盤はずっと安定のぐるんぐるんされてたっていうかめっちゃ柱にホールドされてた笑。

完全にあのシーンの二人の絡みを観るのが楽しみになっていたイセクラ大量にいらっしゃったと思います

あと白倉さんのツイート拝見してて笑っちゃいました一生服従高いオーダーメイドチャリ自宅で手料理振る舞いコースが見えます

シェイクスピアはなんでト書きに書いてないのに、四代悲劇のタイトル叫びながらあのえげつない傾斜走り回るんですか???雷を「ゴロゴロピカーン!」って笑わせてくるんですか???(面白すぎwww)

 

シェイクスピアシェイクスピアが乗り移ったアタイそれを真似するmonoの「To be 〜」の三段活用、もう本当に面白すぎるのでやめてほしいし、大楽近づくほどもはや白石さんも一生さんもハメの外し方が凄くてダメだったwww

白石さんの動きとふざけ具合がそもそも凄くて、それで一生さんが笑いを堪えきれないし、衣装の襟元で口元隠して笑ってるし(その所作と横顔がまた綺麗すぎて堪らん…)

一生さんかなり誇張してもはや変顔みたいなレベルで真似をするんですよwwwそれで笑いすぎて後ろ向いちゃったりするから白石さんに客席の方向へぐるんとされてたし、それでももう一回「To be …」をやりかけるというスーパー仕様に変わっていったため、最後はもう客席から拍手起きて一旦本編の進行がそこで止まるのが恒例になっていましたwこのくだりだけ永遠に見ていたい

 

・星の王子様が息をしていないことを確かめるタイム、公演終盤になるにつれ長くなっていて、楽が王子様にずっと張り付いてるものだからmonoが引き剥がそうとしたり宥めたりするんですけど、楽がさりげなく反応してて面白かったですw楽もちょっと成長したのかな笑

 

・「夜間飛行」という名の「呼んでいない悲劇」へと飛び立つ前に別れなければならない息子に対するmonoの表情、毎回泣きそうになるのですが、前楽辺りで一生さん本当に泣いてた?かかなり涙目だったのが忘れられなくて。

それから、イタコである自分は母に会えないけど楽には父親に会って欲しいから、と最終的にmonoを呼び寄せたアタイのことを考えると、最後に「だからありがとうって言っておいて。僕を呼んでくれた、お前の同級生に」と楽に言い遺して飛び立っていくmonoはあんまりにも悲しすぎるし、

しかもその直後にパイロットとして、プロとしての仕事をする顔に一瞬で切り替わるのが凄すぎて。その後、元アブラハムである副操縦士と談笑とかしてるんだけど(大楽は少し笑って話してる感じが強かった?気がする)、ちゃんと離陸準備してますよって感じなのがより一層印象に残りました。

 

・橋爪さんのラストの一人台詞の表情があんまりにも素晴らしくて、大楽は前から舞プロ枠三列目センブロで観てたんですが、あまりに凄すぎて息が止まっていたと思う。

あの一連の台詞を橋爪功という名優が話す様を観られるだけで12000円の価値があるし、それで舞台が実質締められる(その後白石さんの挨拶はあるけれども、あれはフィクションから現実への橋渡しというか逆憑依?みたいな儀礼的側面としての役割を担わされてると思うので、本編ラストは実質橋爪さんの台詞かと思ってます)のが本当に素晴らしくて、あれ以上の幕引きはないのではないかと。 

 

・だからこそ、マジで永遠+66年後くらいを迎えた頃にもし再演があったとして、"楽=高橋一生"が実現したとしたら泣くな…と…

 

 

≪物語の主題と解釈について≫
 
・正直"星の王子様"を登場させた意図を全ては解釈しきれなかったのですが、サン=テグジュペリと楽の父親であるmonoはまず墜落事故で亡くなった点で重なる存在ですよね。
 また、登場人物の中で”星の王子様”は【被創造物(者)】です。「息をしていない」けど、サン=テグジュペリによって創造された存在で、それはまたmonoが楽に届けようと残したレコーダーの声と同様の存在なのだと思います。創造者と被創造物が2組存在することになる。
前者はフィクション、後者は現実事故のことを鑑みるならばノンフィクションであって、既にこの2つについて考えるだけでも虚実の境目が混ざっていくのだけれども、生み出された意図の有無やその存在の虚実にかかわらず、被創造物は誰かを守り、ある種の希望のようになりえる可能性を感じました。
 
・これ間違っていたら申し訳ないですが、星の王子様の台詞で「僕が生み出されたのは箱を開けさせないため」みたいなところありませんでしたっけ?
 箱=レコーダーではあるけれども、劇中に神話の要素もあったせいか、あれは”パンドラの匣でもあったのか?と思いました。フィクションがフェイクな言葉を以っても生み出される所以は、現実に災いを起こさないため。虚構で様々なことを描いて見せることで、現実に良い形で還元していくようなそういう意味もあったのかな…とも思うし、
一方、パンドラの匣がレコーダーなのであれば、たった「永遠+36年前」の事故の話をあれだけ忠実にフィクションに持ち込むことすらも、人によっては「それはまだ早すぎるし開けてはならない」という解釈をする人もいるのかもしれないですよね。
 
・また私的な話ですが、今回私が消化不良だった一因は、私自身が日航機事故について殆ど知らなかったことが大きいです。事故の後に生まれた世代です。
 ほかの方にも「これは年齢案件」と言われてちょっと気持ちが軽くなりましたが、観劇中は「あの事故のことかな?」とは思いつつも終盤まで確信が持てなかったです。
 帰ってから事故のことを調べたし、親に事故の報道について聞きました。そもそもどの程度まで報道されていたのか、世間一般の認識はどこまでだったのか、当時生まれてない人間にはその感覚は全然わからないからです。
 正直、以前までの野田地図作品で扱っていた【戦争】の方が、必ず学生時代に習う内容ですから自分にとってはなんとなく理解しやすい要素が多く、もっと昔の話なのにどこか近いとすら感じてしまったんです。私はその感覚がちょっとショックだった。人の死に近いも遠いも、軽いも重いもないはずなのに。
 私のその個人事情を物語のわかりにくさ・難解さとつなげてはいけないと思うのですが、どうしてもハードルが高かったです。墜落までの描写の緊張感や、椅子と身体を使った表現の見事さにただ圧倒されて、何も考えることができませんでした。
 
・終盤、客席からすすり泣く声がかなり聞こえてきたことも印象的でした。
この当時を知る人間にとって、本作での事故の描き方はどんな感覚を与えるのか。生々しいほどに要素として取り入れているのか、フィクションと現実の距離の取り方としてどのように感じるのか。
そして、例えば江戸時代の歌舞伎の新作なんかは何かの事件が起きてすぐ作品にしてセンセーショナルな評判を残した作品もあると聞いたことがありますが、果たしてどのくらいの年月を挟めばフィクション化を世間や個人が受け入れられるのか、風化をさせないためにはどうしたらいいのか、問うても問うても答えの出ないことが自分の中でせめぎ合って止まらずにいます。(この辺り、ぜひ特に30代以上の世代の方にお伺いしたいです)
 
・冒頭から「頭を上げろ!」の台詞や日付、「永遠+36年前」という表現から、気付ける人は事故のこと気付いていたんですよね。
 冒頭の方の台詞で「頭を下げろ!」と突拍子もなく叫んでいたと思うのですが、一生さんの言い方が面白くてちょっと笑ってしまったんですよね。でも最後まで観て、それは全然笑えることではなかったことに気付いて、ちょっと血の気が引く気分でした。
 でもそうかと思うと、楽の自殺未遂のエピソードで隣の人が自殺して人身事故が起きて、「ご迷惑をおかけしております」という駅のアナウンスに対して「人が死んだことがご迷惑になってしまった」と楽が突っ込んでいたと思うんですが、それにクスって笑っている、明らかに私より年上の方々も居て。いやそこ笑うとこじゃないよね?って私はすごく引っかかってしまって。
 この2つは同列にならないのかもしれないけど、私にとっては近い話で、知らないとか遠いとかそういうことだけで人の死とか悲劇って笑えてしまうかもしれない人間ってなんなんだろう、って思ってしまいました。
 

 
 
≪冒頭とラストシーンについて≫
・本作の最初のシーンが「誰にも聞かれないまま音を立てて倒れていく木」をアンサンブルのみなさんの美しい身体表現で表しつつ、
 monoが「誰にも聞かれない言葉は言葉たりえるのか」というような台詞で始まるのが素晴らしくて。
 monoは死者なので、厳密にいえば彼が遺した声が届いたのかは本人は知る由もないはずだけど、そこにイタコという存在を媒介することで、楽に届けることができました。
 楽はそこで「『楽』『しんで』生きていく」と話して、それを見て静かに笑ってmonoが去っていく(ここの一生さんの表情が本当に素晴らしい…)というところで物語は閉じられます。
 monoが自分の声が届いたとわかることってすごく希望だし、フィクションだからこそできることですが、例えば実際のレコーダーの中の「コトバの一群」が死者が願った相手の元に声として現実に届けられたものもあっただろうし、私のような後世に生まれた人間もまた虚構の形としてそれが今届いているんですよね。
 誰にも聞かれないmonoの存在を存在と認められるのか、に対しての答えは私にはわからないけれど、少なくとも重い話の中で「届いた」ということはすごく眩しく、救いに感じました。
 
・そして、この時下を考えると、「誰にも聞かれない、見せられないままお蔵入りになった作品」が沢山あったと思います。
 戯曲や美術や役者や照明や衣装や音楽や、いろんなものが準備されていたとしても、それら単体では【演劇】ではないのだと思います。
 舞台に乗せて、上演して、客を入れることで、初めて成り立つものだと、きっとお考えになっている方が多いと思います。
 きちんと初日に幕が開くことも、楽日を迎えられることも、況してや地方公演までできることも、今や奇跡だと噛みしめるものになってしまったからこそ、目の前にある言葉たちが「誰かに聞かれた言葉」になって良かったと心底思いました。
 
改めて宣言下の隙間を縫って、東京→大阪へと辿り着けたこと、本当におめでとうございます。
この劇の題材である日航機事故の出発地と辿り着けなかった目的地としても、
高橋一生さんのファンとして昨年の『天保12年のシェイクスピア』の無念を考えても、
公演が進んでいくこと、毎回上がってくる感想やカンパニーの中の皆さんのSNSを見ること、全てが本当に自分のことのように喜ばしく思う日々でした。
お祭りのようで、それでいてずしーんと重く確かな現実に向き合わせた2ヶ月を、本当にありがとうございました。
 
 
 

 

 

*1:でも普段だったら前回並みの本人確認設けて然るべきと思います。ノダマップさんのいいところは毎回当日券出してくださるところで

近場に住んでるともうそれでいつでも観られるし、観客の可能性が増えるしとても良いけど、
そこまで柔軟に対応されても転売が無くならない以上、チケトレやリセールを併用しつつ厳しくするしかないと思う

*2:私から話すのは恐れ多いので、一生さんのお考えがよく分かるインタビューをぜひ読んでいただきたい…

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*3:パンフレットの南直哉さんと野田さんの対談が凄まじすぎたので、絶対に読んでほしい。  

  劇中にも聖書(言葉の葉の話、アブラハムの役名等)や神話(エピメテウスの話?だったと思う)の引用がふんだんに盛り込まれているのですが、難解だけどめちゃくちゃ面白かったです。これは理解しきれないのでまた観に行くまでの宿題としたい気持ち。