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好きだってことを忘れるくらいの好き

白と黒のあわいに生きたひと ~おんな城主直虎 第33話 「嫌われ政次の一生」~

私個人が好きな視点なのですが、「まなざし」というものほど人の本性や本心等、およそこの世界で大人が生きてゆく上で時には扱いづらく、厄介なものは無いからこそ、

いつもいつもそんな「まなざし」が一瞬爆ぜて立ち現われるような、そんな瞬間を物語の中で見つけるのが好きです。

 

この物語では、政次というキャラクターは誰よりも「まなざし」が印象的だったと感じています。

いつも誰よりも賢く、誰よりも優しい。だから誰よりも周りの事が見えているし、見え過ぎている。

だからこそ、ひた隠しにしている彼の本心や本音が唯一溢れだすような、垣間見えるよな目が、とてもとても好きでした。

 

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彼の一生できっと沢山「まなざし」を投げかけていたのは、おとわであり、次郎であり、直虎だったんだろうなと。

おそらくその大半は、彼女が見ていない、見つめ返されることのない瞬間に投げかけるものだったからこそ、その一つ一つを見るたびに惹かれました。

 

そして、高橋一生という役者さんは、本当に目の使い方が上手な方だと思う。

視線の方向、瞬きの回数・頻度、目の開き具合等、目一つでこんなにも饒舌に物語るのかといつもいたく感心してしまいます。

そんな場面挙げればキリがないのですが、最近だと32回で小野の家臣に「我らも欺いていた」と告げられるところの瞬きの表現の巧さや、

今回のなつとの会話のシーンが印象的だったなと思います。最後だとわかっている、口には出さないその運命が、零れ落ちそうになる瞬き。それを黙って受け止めるまなざし。

 

そのなつとのシーンで、白い碁石を見つめる政次の目を”なつ”がふさぐということ。

碁石を隠すとか、とりあげるとか、話をそらすとか。そういったことではなく、彼の目をふさぐというのは、それほど政次の目一つが直虎への想いを汲み取らせてしまうからこそなのではないかと思います。 

なつさんの立場は直虎とは違う意味でまたつらく、それでも静かに受け入れる・愛する姿勢がぶれなかった彼女は本当に賢く、意志の強い人だし、美しい人だと思います。政次にとっても、そんな存在が居て心底良かっただろうなと思います。

だからこそ彼女が最後にちょっと「わがまま」と言うほどではないですが、本心に沿った言動をしていたのがかわいらしくて、だからこそ切なくて、ずっとこの時のことが美しい思い出として残ってほしいと願わずにはいられませんでした。

 

 

それから、龍雲丸から白い碁石を受け取り、「次の手」を考えた直虎が「私が送ってやらねば」から「我が送ってやらねば」と言い直したところ。

どうするべきなのか判らず涙を流していた「おとわ」が、政次の真意を汲み取り、いやそれ以上の覚悟を決め、小さく瞬きをしたのち「直虎」に一瞬で切り替わった瞬間。

瞬きひとつの間さえ永遠に感じるような一瞬。

「私が」では彼女の左側からカメラが映していたのが、「我が」では右側 ー後に尼頭巾に政次の血を滲ませるその半身の側ー に変わっていたことと併せて、書き起こせばたった一文字の呼び名の違いで、その一瞬を切り取る鮮やかさにもため息が出ました。

 

 

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正直、政次の最期を直虎が見届けて、刹那きっと視線がぶつかって。

そこで全部お互いだけが悟って彼は逝くんだろうな …ってところまでは割と前から予想してました。

だからこそ、刑場に来て2人の視線が交差した時からとてもしんどかったし、いよいよという所で閉じられた直虎の眼が再び開いた時、見えているのは磔になっている政次であり、かつその瞬間覚悟を決めたんだとわかるところが、私としては一番しんどかったです。

だってこの一連のシーン、台詞が一つもないのに2人の「目」だけで成立してるんですよ。

 

  

さて、「目」というものは白目の真中に黒目を宿したものです。当たり前ですが。当たり前すぎて気にした事もなかったのですが。

思えば、白と黒の二色は何度も目にしてきた色でした。直虎と政次がひそやかに碁を打つ時に。

 

この物語でとても重要なモチーフである「碁石」も白と黒であり、「まなざし」もまた白目と黒目から投げかけられる視線の交わりでもあります。

そこで私が強く惹かれたのは、このシーンでした。

とてもとても些細で、私的な視点でしかないのですが。

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政次が井戸端に戻って来てみつめていた、最後に直虎と囲碁を打った時にそっと袖に忍ばせたもの。

ある意味で言えば、後朝の衣ならぬ白き碁石

 

その碁石が、ここにきて「白く」見えなかったのです。

政次の人指し指の方、碁石の右側の方に筋状の模様が見えるのです。

夕日のせいなのか、材質の問題なのか*1、意図した演出なのか、偶然なのか。

正直細かすぎる視点だと自分でも思いますし、よくわからないのですが、一瞬でこの翳りのような模様から目が離せなくて、ずっとこれは何?って思いながら観てました。

 

このつまらない引っ掛かりが、きちんと立ち現われたのは最期のシーンでした。

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直虎の真っ白な尼頭巾に一点のみ散らされた紅い染み。

もっと血で染まったとしてもおかしくは無いと思うのですが、なんで少しだけ?と思った時に、

先程の碁石の翳りと、一点の染みは、おそらく政次と直虎の呼応するモチーフなのではないか

と考えつきました。

 

「素地は真っ白なものに異なる色が差す」という点でこの2つは物理的な外観として似た色彩をもっているな、という印象から連想されたものなのですが。

「白」という色は次郎法師の色であって、「黒」づくめの服を纏った政次と対比されるように真っ白な尼頭巾を被っています。

直虎を名乗るようになってからは、彼女は鮮やかな「赤」の着物で装うようになります。

 

自分の一番大切な存在の象徴である「白」の碁石に、自らの色が混ざることは、政次の

想いの複雑さや彼女への執着の表れのように思います。

憧れ、尊敬、忠誠、嫉妬、恋慕、慈愛、信頼…この世に在るどんな言葉でも言い尽くせないような感情がきっと溢れ出て、混ざって、それでも唯一つ解ってたのは「自分は彼女の傍で守ることを選ぶ」自分の使命。

圧倒的な「白」に、取り込まれそうなほんの少しの碁石の翳りは、決していつも思い通りにはならない彼女から離れられない政次の姿のようにも見えました。

 

生きてゆくには嘘を吐いて、見方も敵も欺いて、白黒つけなければならなかった。それでも白黒つけられないグレーのあわいに、人のむきだしの姿と心が見え隠れしている。

そのあわいにずっと、政次は囚われて、そのあわいのために、政次は生きたと思うのです。

 

その政次を直虎自ら手に掛けることの意味も重要性も、もう重々誰もが分かっていると思うのですが、その1つとして殺生をすること(名もなき子を殺した政次の行為の反復でもある)で尼である次郎も罪を背負って地獄に行くことになり、「おとわ」と呼んでくれる存在も同時にいなくなります。

つまり、まさにこの瞬間、自分の手でかつての自分を決定的に殺してしまったのです。自分の半身のような政次の身体を通して。

直虎が「もはや降りることは許されぬ」その証として、真っ白な頭巾に決して消えない「赤」の染みが残る。

その染みは、直虎が直虎になるために最も必要であった政次の血であるということが、皮肉にもきっと直虎を完全たらしめることだと思うのです。

 

来週の予告でもその尼頭巾のままで居た直虎は、今後ずっとこのことを忘れず、背負ってゆく引き継いでゆく覚悟まで出来ていたのかなと思うと、彼女の強さを思うと共に、 心休める日は来るのかと心配にもなりました。

だからこそ、来週以降もきちんと見届ける必要があるのだけど。せめて地獄からの代わりに未来から見てるよって。

 

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政次の辞世の句、「白黒をつけむと」囲碁を打つ時は、

白黒つけずに直虎と顔を合わせ、話す事ができた場所でした。

こんな簡潔な、たった31文字で、そのひとときがどれほど彼にとって大切なもので、

毎回心待ちにしていたのかが滲み出ていることに、

私はひどく心を動かされました。

 

生命を使い果たす終の瞬間に、やっと心の奥のまるはだかな感情をあらわにしたことが政次らしい。

ひとり待つ穏やかな表情と共に、きっとこの人の事を一生忘れないだろうなと思いました。

 

 

どんな言葉をもってもこの物語を語ることはできないし、

ましてや最期の2人のやりとりはもっと沢山の意味も解釈もできるので、

今更私がどうこう言うことは必要ないと思うんですが。

裏返したはずの言葉と気持ちが、あんなに強く胸を打つなんて。

それは永遠に2人だけの秘め事として閉じられるなんて。

 

放送前は政次が居なくなることが辛いと思ってたけれど、それよりも、

あの2人の出した答え、もはや形容しきれない確固たる関係性があんな形で実を結んで、それにただただ圧倒されたこと。

これ以上ない人生の幕引きと物語の説得力に、きっともうこの先出会うことがないんじゃないだろうか。ということに、

打ちのめされそうになることが今すごくつらいです。

それくらい凄いものを見てしまったし、でも同じ時代に生きて出会えただけ良かったのかもしれない。

自分の幕引きの際に、こんな物語を目撃出来たことが本懐だと思いたい。

 

それにしても龍雲丸の言う「あの人がそれを選んだ」こと、数ある選択肢からそれを選んで生き抜くということ、この2017年に溢れすぎていやしないだろうか。

カルテットも、ララランドも、小沢健二も、メッセージも、直虎も。

「選ばなかった」「在ったかもしれない」人生を知りながら、今在る生をまっとうする彼ら彼女らは、

時代も国もバラバラだけれど、私にとっては皆等しく、唯尊く、唯生きていてほしいと思う。

そんな気持ちにさせてくれるものに沢山囲まれる私たちは心底平和だし幸せだと思う。

 

「あの世でもらう批評が本当なのさ デートの夢は永い眠りで観ようか」って、

この二人の事だったんだろうかって思ってしまうくらいに好きだし、

黄泉では陽の下で碁を打って、美しい思い出や笑い話もしてほしい。

どうか笑って居てくれますように。

 

 

 どうしてもこの日までに追い付きたくて、8月入ってから半月ほどでオンデマンドと録りためていた録画を一気に観続ける日々を重ねてまいりましたが、本当にそうしてよかったなと思います。この日を沢山の人と迎えられてよかった。

 

毎週毎話ごとにブログをお書きになっていた方もいらっしゃったし、

きちんと初回からリアルタイムで追っていた多くの方にはおよそ頭が上がらないですし、

このように山場の回だけ書き付ける形になってしまうことも申し訳ないのですが、

どうしても自分の身体を通して考えたこと、湧き出た想いを、きちんと残してせめてもの手向けにしたい。なんて、一視聴者かつ歴史に埋もれゆく1人の人間にしては過ぎた考えで書きました。

来週以降も楽しみに見届けようと思ってます。

ここまでお読み頂きありがとうございました!

*1:ちなみに検索すると蛤製?の碁石だとこんな色合いみたいなのですが、これ以上分かりませんでした。不確かな情報ですみません、お詳しい方ご教授願います。