je joue

好きだってことを忘れるくらいの好き

『ドクターホフマンのサナトリウム〜カフカ第四の長編〜』

【盛大にネタバレしているので観劇前の方はご覧にならないことをおすすめします】

 

 

 

 


「ある地点からは、もはや立ち帰ることはできない。その地点まで到達しなければならぬ」*1

 


本当は観終わってからずっととてもとても感動しているし、ぼんやり考え続けている何かが残っている。

そういった個人的な感想とは別に、実は夢とか記憶とかって後味が良かったとか悪かったとか関係なく後味引くものってあるじゃないですか。

私にとってはそんな印象の作品だったし、この冒頭で引用されるカフカの言葉が全てだったなと感じました。

 

 

カフカについて知りえた二、三のこと

私はお恥ずかしい話ですが、カフカを読んだことがありません。

所謂”不条理”モノとされる文学や演劇も全く通ってきませんでした。

だから、全編にちりばめられている”カフカ的要素”に関しては、全くわからないし、後でパンフレットや劇評で少し知った程度です。

 

ところが、すごくおもしろかったのが、全編袋とじでできている凄まじいパンフレット*2に引用されている、カフカの言葉たちが物凄く私には響くものばかりで、

時には「これは私なのではないか…?」と錯覚するような不思議な感覚になるばかりなのです。

特に『僕の結婚についての賛否の総括』とか…出版社の方へのお願いの手紙の切実な感じとか…

おそらく、すごーく他者のこともご自分のことも、自作の小説たちのことも、客観視できる知的な方だったんだろうなと。一人でいる時間も大切にされていたようですし。

その分、自己評価が低くなってしまって、ずっーと同じところでぐるぐる悩んで全部自分で抱えちゃう感じ、私はすごく身に覚えがありすぎてちょっとつらかった笑。

 

そして、その例のパンフレットがいじわるなもんで、しれっとフェイクのカフカ年表とかついてるんですよね…

最初ぺりぺり地道に袋とじ開けてたら、なんか同じページない???って三度見くらいしたら、

史実通りの年表と、本作を存在を踏まえたうえでの年表と2つ付いてるの…

ケラさんのインタビューも、ブロッホさんの手記は出版されてますよと。

”そういう体ですよ”って前提のフェイクインタビューが載っていて、お書きになっている徳永京子さんも含めみんなグルになっているという笑。

もうそれだけでめちゃくちゃに面白かったです。すごく愛に満ちている。

 

誰かが何かについて真摯に考えたり思ったりしていることを、聞かせていただいたり見せていただくというのは、

本当に大好きだし贅沢な行為だと思っているので…

それだけに当のご本人は出版すらされたくなかったのに、一体どんな心中でいるのだろうかと気になってしまいました笑。

 

圧倒的ヒロインとしてのカーヤ

本当にそう思った。

ケラさんのお芝居がすごく好きな理由の一つとして、女性の描かれ方が秀逸すぎるという点があるんですけど、今回もそうでした。

他にも私の好きな坂元裕二さんとか太宰治とか、皆さんいつのまに我々女性陣の心の中ににゅるっと入ってたのかな…?ってめちゃくちゃ思ってる…

 

カーヤちゃん、はっきり言ってめちゃくちゃ強いんですよ。

序盤の方で既に

「この人絶対死なないし、この混沌とした世界を生き抜くだろうな」

って根拠はないんだけど、どこかで強く感じさせる。

演じている多部未華子さんがすごく上手で、素敵で可憐なのに芯の強いところを共存させてらっしゃるんだとは思うんですけど。

 

その強さを感じたシーンが2つ。

まず、バルナバス大尉とクラム中尉の処刑のシーン。

戦時中だから、生命の危機だから、何としても生き抜こうとするよね…というシチュエーションこそあれど、あそこで毅然と処刑を命じてしまうところ。

 

もう1つは、マグダレーナの屋敷でのシーン。

マグダレーナさんはラスボス感満載だし、そこをまさかの平然と乗っ取るグレーテさんは相当やばいしマジで強い*3んですけど、

全然面識のない人に対して、「殺してしまえばいい」とか「火をつけちゃえ」とか

結構すんなりカーヤも状況を受け入れて言ってるところ。

 

グレーテさんが毒消しのお茶を差し出しながら、「女はこういう時決断して飲むものだ」みたいにおっしゃってましたけど、

そんな台詞をお書きになってしまうケラさん凄いなーと素直に思ってしまったし、

実際にカーヤは悪夢みたいな世界の中でバンバン決断して、ガンガン突き進んでいく。
根拠も何もないことでも、おそらく自分の中の野生や第六感のようなもので、選べてしまうし、その結果生き抜けてしまう。

理屈で語り切れないのですが、カーヤがヒロインに据えられている理由がすごく納得できてしまいました。

 

虚構の中の視点としてのカーヤ

そんな強いヒロインなはずのカーヤが、序盤の方で、
「私の知っていることは少ないけれど、知っている少しのことを頼って生きるしかない」

というようなことを話していたのが印象的でした。

これってごくごく当たり前のことなんですけど、みんな等しく生きていく中でそうなってるんですよね。

 

彼女は自分がとある物語の主人公だなんて知らないで自分の人生を生きていて、

おそらく狭い世界の中で生きてきて、自分は世間知らずなのだと思っているんだと思う。

でも、虚構の中の人間も、現実世界の人間も、あなたも、わたしも、みな等しくそう生きるしかない。

自分が見て聞いて考えて感じたことしか、自分の知覚できる世界にはなりえない。

 

さらに彼女の場合は、こんな悪夢から逃げたいなと思ったときに、

冒頭の列車の中のシーンのようにガラスを割ってその悪夢を止められるけれど、

哀しい哉、結局彼女の人生は物語そのものである以上、理不尽で不条理なことに溢れた物語を絶対に生きなければならない

そして、彼女の視点はカフカの視点そのものでもあって、

本当は自分の意志で選び取り創ってゆくことのできるものではないのです。*4

 

ある創作の中の世界を描く作品は、その構造がメタフィクションとして機能していく中で、

普段私たちがあまり気にしないような、その創作の中の人物の視点について、深く考えさせる機会を与えてくれます。

私はそういった構造を取った作品がすごく好きで大学で学んでいたこともありますが、

本作もそういった視点でカーヤを見てしまって、自然とその混沌とした世界にすとんと入り込める一助になっていたように感じました。

 

”乗ってはいけない列車”のゆくえ 

さらに、先ほどのカーヤの台詞は最後の結末にも響いてくるように感じました。

即ち、”乗ってはいけない列車”と”乗るべき列車”を見極めることできるのか

ということです。

そこに辿り着くまで、怒涛のように複数の世界が解き明かされていくので、正直2幕が一瞬で終わってしまうくらいの体感時間で、

そこからのあのラストシーンがやはり圧巻だったから、今こうして忘れたくなくて書き留めているくらい印象に残りました。

登場人物たちが階段を使って様々なものを見立てて表現していくんですけど、

彼らが階段を下がっていくシーンこそ多けれど、駆け上がっていくシーンは最後以外は多分なかったように思うんです。

 

ガザがカーヤの手を掻き分けていく喪服のような人並みと、鳴り止まない大きな演説の声が誰のものかに気づく時、

そして刹那こちらを振り返る2人のシルエットが浮かぶ時、

あまりにその不気味さ不穏さと、美しさと、切なさが一気にこみあげてくるような感覚でした。

 

私たちは決してその列車が正しいものなのかどうか、一生知ることはないまま日々選択を迫られて生きるしかないのだと思います。

彼らもその時一寸その列車を降りてみたとして、少しだけ近い将来のことは変わったりするのかもしれない。

それでも、もっと大きな抗うことのできぬもの…例えば歴史であったり、政治であったり、国家であったり、世論であったり、偏見であったり…

時代によって名前や形を変えてゆくその大きなうねりの中に人間は巻き込まれざるを得ないのではないでしょうか。

 

私はまだ読んだことがないし知らない世界なんですが、カフカの書いたものは不思議で不条理なものばかりなんですよね。

この3時間半の中にも、全て説明のつくことだけではなくて、理解の追い付かないこともごく普通にたくさん出てきました。

しかし、そのことが全く気持ち悪いとは思いませんでした。

むしろ、先ほど挙げた”列車の選択”ができるのかということ、

それこそが最も受け入れがたい”不条理”ではないかと思いました。

カフカの書いた世界の中よりも、ケラさんが創り出していた世界よりも、この世界の方がよっぽど不条理で納得できないことばかりだよ、と。

 

列車というモチーフ

本作は冒頭もラストシーンも、途中でも何回も列車のシーンが出てきます。

なんで列車なのか、というのはたぶん観劇された方は割と納得しやすい点かと思うのですが、

ブロッホさんと親友*5が迷い込んだ1923年の公園で、

バック・トゥ・ザ・フューチャー』の話してるとこでピーンとくるものがありました。

これは車じゃダメなんだよなぁと。

 

車はね、楽だよね。行き先自分で選べるし運転できる。

列車は行き先決まってるし、運転もちろんできないし、不特定多数の人が乗っている。

道中で人々は降りたり乗ったりする。

同じ容れ物、空間の中に、様々な人生が交錯するし、そのルートを選ぶことはできず、道程をひたすらなぞるだけの旅。

選べそうで選べない彼らや私たちの運命を、時には遠くから喜劇として、時には近くから喜劇として、眺めるには最高のシチュエーションなんだと今回特に思いました。

 

それから、照明で列車を表すのが素晴らしいなと思いました。

ガタンゴトン揺れてるなーって役者さんたちもそういう芝居をしてたりするんだけど、窓が流れゆくその光と影だけで表すシーンが何度か出てくるんですよね。

特に、列車そのもののシーンじゃないところ。

ブロッホさん達が公園でユーリエちゃんに人形渡しちゃったりとか、

1923年のサナトリウムカフカさんに会っちゃったりとか。

要は、在るべきだった歴史を変えてしまった瞬間に、列車が通り過ぎてゆくんだと思います。目には見えないんだけど。

私は今回たまたま2回観劇することになって、その2回目で気づいてすごくハッとしました。

 

『修道女たち』とのちょっとした比較

本作を観ていてぼんやり思い出したのが、昨年のケラさんの大傑作『修道女たち』です。

その劇中にも、列車は重要なモチーフとしてラストシーンにのみ現れていました。

本多劇場の本気というか、あんなことできるんだってめちゃくちゃびっくりした魂の列車…

あのシーンも本当に最高に好きなんですけど、なぜかというと、

主人公のオーネジーという女の子が特別な力を持っていて、彼女は危機的状況でも死ぬことすら避けられるような力があるのに、

最後に自分から列車に乗ることを選ぶんですよ。もうその行き先は解っているのに。

 

大雑把なネタバレで観劇された方しかわからないと思うし申し訳ないんですけど、要はたぶん今回の列車の意味合いと全く逆なんですよね。

カーヤはじめ我々大多数の人間は”選ぶ”という行為はできても、その行き先はわからないし、なんだか運命には抗えないようだし、本当の意味で”選んでいる”とは言えないのかもしれない。

 

それで、『修道女たち』に出てくるシスターたちも、自分から”選んで”葡萄酒を口にして、その結果”魂の列車”に乗ることになりますが、

その根拠は”信仰”というまた別次元のものなので、たぶん同じ土俵で語るべきことではない。

オーネジーちゃんはもっと特殊で、彼女は普通の人間じゃないので、私たちにはできないことができちゃう。

それが”行き先のわかる列車に自らの意志で乗ること”なんです。

 

本当に『修道女たち』すごく好きな作品でDVD化を期待して待ってるくらいなので、これについてもきちんと考えてまた観たいなってずっと思ってるんですけど、

1年後に全然違うテイストの作品で同じモチーフで違う切り口のことが立ち現れるのがすごく面白すぎて、興味深く拝見しましたというはなしです。

 

おわりに

「ある地点からは、もはや立ち帰ることはできない。その地点まで到達しなければならぬ」

本作の冒頭に出てくるこの一言が、なんだか違って聞こえてきませんか。 

列車はずっと同じ方向を目指して走ります。

反対方向や違う方向に行きたければ、自らその列車を”降りる”という選択をしなければならない。

その選択も本当にできているのか、未来は変えられるのか、誰もわからない。

予め決められた終着駅というある地点に宿った運命に吸い寄せられるように…

…ということなんだと思ってなんとか納得して、

今日も我々は超不条理な世界を生きなければならないのかなと思ったりしています。

 

言わずもがなですが、生演奏、映像演出、なめらかな振り付けと転換、何役やっても違和感のない役者さん、ぜんぶぜんぶ素晴らしい総合芸術でした…

今後も全作品拝見させていただきます!

 

*1:カフカの名言・言葉(英語&日本語) | 名言+Quotes

 観劇後に調べたら、カフカってすごく名言が多いんですね。

あと最近観た『マチネの終わりに』で主人公たちが共有している人生観みたいなものと奇しくも通ずるところがあるような。現在という最新の”地点”から過去を振り返るスタンス的な。

*2:本当に”凄まじい”を通し越して”ヤバイ”のに1800円という信じられない価格設定なので絶対に購入されたほうがいいです。というかケラさんの舞台毎回チケット代もパンフレットも破格すぎるので心配になるもっと出させてください…

*3:あのですね…このシーン個人的にめちゃくちゃ直球過ぎました…

ターコさんとたまきさんをあの設定ですかそうですか…

宇野亜喜良さんの世界からそのまま出てきましたみたいな完璧なビジュアルだし…

薬を盛って夜な夜な可愛い女の子によろしくないことをしているというか、この二人なら合法では???と思ってしまうくらいぴったりでした

「飽きちゃった」からずらかるとか、「悪いことしちゃったら祈っとけばいい」みたいなグレーテさんあっけらかんとした悪女過ぎてマグダレーナさん乗っ取られるの納得だよ最高だ…

双眼鏡持ってたんですけどあまりの動揺で落としそうになるくらい耽美な世界だった(膝にかけていた上着は実際落とした)

*4:パンフレットの緒川さんのインタビューの中で、このカーヤの不安や恐怖こそこの物語たらしめる点に関して物凄くわかりやすく言及されていて、後ですごく納得できました。

各出演者に「あなたにとっての『フェイク』」という質問が投げかけられているのですが、その回答も緒川さんがすごく視点も言葉選びも素敵だった…本当にだいすきです。

*5:あんなに面白くて劇場中の空気と笑いを掻っ攫った存在だというのに役の名前が”男2”だなんて信じられます?大倉さん毎度最高です…職人芸犬山さんと大倉さんはほんとにすごいですプロです…